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2005年08月10日

●恋しい、恋しい、恋しい

目の端っこがシオシオする。
ホームシックだ。

昨日。実家を後にする日の朝、
92歳のばーちゃんがじいちゃんに線香あげて
初盆の祭壇の前でじいちゃんに話しかけてるのが聞こえるんだ。
ばぁちゃん、耳が遠いから自分の声もちょっと大きめ。
大きいから、全部聞こえてくるんだ。


   おじいちゃん、チカちゃん帰るってよ
   今日帰っちゃうって
   仕方がないよねぇ、あっちに住んでるだもの
   飛行機乗って帰るってさ
   しょうがないわやぁ、おじーちゃん


繰り返し、言ってるのが聞こえた。

涙腺スイッチは壊れっぱなし


歳を取ると、余計に人恋しくなるものだろう
特に、連れ合いを亡くして。
私はこうして「たまに滞在する」働き手だから、「いつも」じゃないから
気持ちにも体にも余裕があるんだ。
短期集中だからこそドバッと愛情を注げるんだもん。
ばぁちゃんは、そんな私の存在が嬉しかったんだろう。
毎日一緒だったら、きっと日々のこと、繰り返しのこと、
時間がかかる動作や様々な症状にも疲れちゃって、また違った対応になると思うんだ。
だから、チクリと胸も痛む。
私は、ばぁちゃんが思ってるほどは優しくないよ。
「たまに」の私に浴びるほどありがとうを言わないで。
いつも側に居て大事にしてくれるひと達を忘れないで。

感情の波が高まったようで、空港に私を送りに行きたいと母に申し出たばぁちゃん。
家を閉めて、行こうかと皆で決めた。
誰か来て下さったら締め出ししちゃうことになるけど・・・・。
時計を見ながら出発時間をカウントダウンするばぁちゃん、
「ああ、だんだん近づいてきちゃったわやぁ」
少しづつ日が高くなり、日差しのことや暑さのこと
歩く距離のことが心配になってきたようで、
「やっぱり、ここで見送るわ」

車椅子があるから大丈夫だよ、と母や妹が言っても
「やっぱり、ここで見送るわ」

知ってる、ばぁちゃんが車椅子に乗るのが嫌なこと。
目立って自分が「年寄りのバァちゃん」と思われたくないこと。
ちょうど、
おじいちゃんにお線香あげに来てくれたおじちゃまが居て
母とばぁちゃんは残ることになった。
よかった。
「本家の嫁は、新盆に家を締め切って外出」と責められるリスクを母に背負わせたくなかったし。
ばぁちゃんも不安で気が変わったのに無理やり連れていかずに済んだ。

朝、仕事に出かける父の車を見送り、手を振りかえしてくれた父の顔。

「じゃぁ行くね」と声をかけたら、お客さんにお茶を出しながら、ぎゅっと私の手を握った母。

行くまで姿を見たいから「玄関を開けておいて」という、ばぁちゃん。

車で私を送りながら、苦しい胸のうちを涙で語った妹。

小さな空港の見送り場所で、小さな手をブンブン振って大きな声で私の名を叫ぶ姪。


大事なものが、ここにある。
感情がひっぱられる。
自分で選んだくせに、なぜ泣くか。

ただ、恋しい、恋しい、恋しい

2005年06月16日

●暑いぜベイビー!

ものすごく暑い、何故か。
長袖のスーツなんか着て炎天下歩いてたら暑いのは当たり前だ!
すれ違う薄着な人たちを横目に見ながら、汗をかきながら歩いた。
馬鹿みたい。そのへんのおじちゃんだって上着脱いでるのに。
ええ、上着の下がタンクトップだったのさ。二の腕出すくらいなら暑さを我慢するさ。
正直、へばった。
暑さでのぼせた。

ようやく元気が出てきた夜、
実家に電話すると母が出て、ちょうど妹との電話を切ったところだという。
姉妹でビンゴな私たち。
私には二人の妹が居て、下の妹は結婚して近所に住んでいる。
三姉妹の真ん中は、現在なんとタンザニア!おい、タンザニアってどこだいアフリカだい。
フィンランド人の彼氏と一緒にタンザニア。
おい、タンザニアって三回も打ってしまった。これを入れて四回目だ。

ホームシックでどうしようもなくなって、彼は彼で音楽活動があり、
暇で寂しい妹は発狂したらしい「家に帰る~!!」と。
妹のご機嫌取りに電話を手配した彼。
彼の困った顔と、なんとかなだめようと努力する姿が容易に想像できる。
きっと妹は怪獣みたいになっているに違いない。
それでも側に居て欲しいなんて恋だわ、愛だわ(笑)

せっかくなんだから楽しめばいいのに、きっと思考回路がネガティブになっちゃってるんだろう。
インドにタンザニアにフィンランドなんて、私が代わりに行きたいくらいだよ、、と能天気な姉は思う。
母も「せっかく日常じゃ行けないところに行けるんだから、楽しみなよ」と話したという。
こっちもビンゴだ。
きっと魂が近いに違いない。
そういうのを血が濃いと表現したりもする。
シアワセなことだ。

あ、そうそう
今日、うたた寝していて、旦那から電話がかかってくる夢を見て
携帯に表示されて「あ、旦那だ」と取ったところで目が覚めた。
携帯を見た。夢だから着信していない。あたりまえだ。
起き上がって伸びをしたら携帯が鳴った。
旦那だった。
ものすごく近い予知夢だったなー。

2005年06月03日

●じいちゃんの気配

母から電話があった。
じいちゃんの四十九日が終わるまでは、忙しい日々は続きそうだ。

じいちゃんのお通夜・お葬式の時のお花が生けてあったオアシスを玄関近くに置いていたのだという
花が好きな母は、何度も花を入れ替えて上手に持たせていたらしい。
そのときは、オアシスから全ての花を外してオアシスだけの姿だったと。
玄関から入って、オアシスの横を母が通った時
じいちゃんが母の横を通り過ぎ「こりゃぁ、なんだや?」と母に問いかけたのだという。

母の話し方も普通に自然に流れていて、つい聞き流し・・・
私は、「は?」と聞き返した。
TVでは夕方のNHKで女の子の声がしており、テーブルにはばぁちゃんが座っていて
だから、じいちゃんの声が聞こえるはずはないのに、と言うのだ。
聞こえるはずがっていうか、ママりん、じいちゃんとすれ違ったんでしょ?
「うん・・そう。」と母。
やっぱり四十九日ごろまでは居るんだね、、、、だって。
じいちゃん、好奇心旺盛だったから、何でも「これは何か」と聞いたもんなぁ・・・と私たちは笑った。


母がばあちゃんにそのことを話すと、ばあゃん目を丸くして「おや、そうかね!」だって
「ママのところには来るんだねぇ」とばあちゃんはコメントしたという。
そうだなぁ、じいちゃんは母の夢枕に立ち、今回も姿を現し話しかけた。
あんなに母にキツク当たって苛めていたのに、
実は、ものすごく頼りにしたり可愛がっていたのか?じじい。

そんなことを考えながら台所で皿を洗っていたら
お線香の匂いがした。

じじ、生きてる間はいろいろあったけど、今はなんだか少し思い出したりするよ。

人生って不思議だなぁ・・・・


故郷を離れて暮らしている現在、なかなか母を手伝うことができない。
自分で選んだことだけど、後悔もないんだけど、
時々、もうちょっと近かったらなぁ、とか
もっとちょくちょく顔が見れたらなぁ、、とか思ってしまう。
もっと成長して時間もできて、しょっちゅう行き来できるようになるのが私の夢。
どこでもドア・・なんてあったら、かなりゴージャスなんだけどなぁ。

2005年04月29日

●考えちゃうなぁ

お通夜、告別式とすんで、みんな寝込みまくり。
実家では、疲労してるとこへ風邪で、父なんて未だに点滴してもらってるし。
私も帰るなり仕事で。合言葉は「終わってから倒れよう」ってな感じで。
あ、ソフトボール部の守備で「ボールがグラブに入らなきゃ体に当てて前に落とせ」ってのと根性的には似てる・・・・って何いってんだ、私。
久しぶりにぐったりしてた。

知らないうちに体力勝負だった、お葬式って

もう、あれから一週間?早いなぁ
一週間前は、実家でまさにお通夜だった
このくらいの時間にヨレヨレしながら「そろそろ寝ないとヤバイ」とか考えていた

松本のお葬式って、地域にもよるのかも知れないけど「へぇー」が多かった

長崎だと、お葬式の日に、告別式→焼き場だけど
松本は、朝から焼き場→告別式なんだもん
お葬式の時にはもう、お骨になってるっていうのがちょっとびっくりした。

告別式をして、お坊さんが退場して、袈裟を変えて、すぐ初七日法要までする
あ、ちなみにお坊さんは6人セットでした
その後、椅子を全て移動して、テーブルをセッティングして
その場で飲み食いするらしい。ああ、なんていうのか忘れた。おとぎ?おとき?
とにかく、名残惜しく故人の話や告別式の話だとかしながら
時間を共有するのだという。
どのみち私は告別式の途中で退散せざるを得なかったので、その後の時間の共有はできなかったんだけど。
なんだか、いい風習だなぁと思った。

本当に一緒に暮らすのは大変な、本当に大変なじいちゃんだったけど
最後の最後に、命を燃やしていい思い出を残してくれたんだなぁって入院エピソード
そんなのを、ちょっと弔辞に込めることができた
ここのブログに書くことで頭の中が整理できたってのも大きい

ものすごく濃い4月だった
どうやって消化したらいいのか今もよく分からないけど
時間が過ぎれば上手に消化していくのかも知れない

昨日、美容室に行った時、
隣の女の子が看護婦さんで、病院で亡くなった後にすることの話をしてた
体を起こして拭いたりしていると、体の中に残った空気が声帯を通って出るときに
声がでることがあるのだという「あー」とか。
亡くなっているのに。
それって、遺族、聞きたいかもなぁ・・・・・・とか思っちゃった
ウチのじいちゃんなら歌ったかも、、、、とかそういうことでなくて。
つい、エロじいちゃんで看護婦さんのお尻触ったりって話をして、そんなのってある?と聞くと
同僚の中には、じいさんに乳首をひっぱられたとか
年配の同僚の中には「そんなに見たいならみせてあげるわよ!」とパンツを見せてやったとか
そんな話をしてくれました。
・・・やっぱり、いるのね、困った患者さんって。
じいちゃん、まだまだすごいのが居たよ、びっくりだよ。
あの憎しみが、こんなネタ話になるんだもの
苦しんでいた当時の私に「大丈夫だぞう~」ってタイムマシンに乗って教えてやりたいよ。

それにしても、長生きもしたし、家族もやるだけやった場合でもこれだけ想いが残るのだから
突然に亡くなっ方の家族は、どんなに辛いだろう。やりきれないだろう。
JRの脱線事故・・本当に心からお悔やみ申し上げます。

2005年04月18日

●My grandfather was gone.

肺炎を併発した祖父
今日の夜に、あっけなくこの世を去った

少し前に下の妹と電話していたんだ
「また危篤だって。お父さん達、病院に行ったよ」
「アイちゃん、大丈夫だってば、明治生まれの強さで復活するってば」
10分ほど話して電話を切ったんだ。

そしたら、それから数分後・・・・また電話。
下の妹と話していたその時間に逝ったのだという。

上の妹は立ち会えたと
脈を打つ腕を、手を握ったと
ものすごく、おだやかな顔だったと

あんなに、あんなに会いたかったユキに孫の一人に見守られて
上がって行けただろうか
私は、午後にちょうどじいさんのことをブログに書いたばかりだったのに

「おねぇ、まだ暖かいのに、病室の中でお葬式の話をするんだよ」
なきじゃくりながら、ユキから電話
この子は三姉妹の仲でも一番感受性が強い
「ひどいよ、すぐにお通夜だ、告別式だって・・・・まだ魂は漂っているのに聞こえているのに」
そうだね、きついね。
でもさ、私達だって、ずっとじいさんとわだかまっていたままだったら
似たような態度だったかも知れないよ
誰かを否定したりなじったりしないで、ひどい!と思えた自分を大事にしなよ。

ユキの彼氏は、じいさんの足をずっとさすってくれたのだという
そして彼も、「まだ彼にはサウンドがあるのに」と葬儀の話し合いを怒っていたという
そうか、そうか似たものカップルだなぁ。
彼とも電話を代わって話した
いろいろ話したけど、一番ぐっときたのが
It's over. but beginning. というコトバだった。
終わりであり、はじまり、
じいさんは生まれたところへ還っていく

明日、私は飛行機に乗って松本にゆく

明日、じいさんの亡骸に会ったら
じいさんより先輩の、私の友達のことを話そう
曾孫になるはずだったあの子に会ったら抱っこして欲しいと話そう
行く道で、もし私を見ながら飛び込めずにいる命に会うことがあったら
黙って背中を押して欲しいと話そう

明日、嫌だっていったのに長崎に帰っちゃってごめんね、と話そう

ありがとう、人を憎む感情を教えてくれて
ありがとう、命ってすごいなって教えてくれて
ありがとう、私に時間をくれて

家族って魂の修行の場なんだって?
トラの穴みたいな道場だったけど
おかげでちょっと強くなれた気がするよ


いってきまーす。
ちょこの発作が心配なので、旦那には留守番を命ず。

2005年04月17日

●やっぱり、「ねこつぐら」のほうがいいのかい?

ちょこの調子がだいぶいいみたいだ
しっかりご飯も食べられるようになったし
トイレでくっさいウンチもしている

やっとひと安心

ちょこのストレスの一因として
お気に入りの「ねこつぐら」を捨てられたからじゃないか・・・
なんて思いもあって、
衝動買いをしてしまった→これ

まだ一度も入ってくれない・・・・
ちょこ、やっぱり「ねこつぐら」じゃないとダメなの?

私が捨ててしまった「ねこつぐら」は川崎に住んでいる時に
調布の駅前のさびれた金物屋らしきところで買ったんだった
しかも「ねこぐら」って売ってた気がする。
検索して見つけたこんな立派なのじゃなくて
底の取り外しができるようなつくりで、厚みもない感じの。
そう、薄かったから屋根に穴が開いて捨てちゃったんだよ・・・
今になってひどいことしたのね、私、と後悔してます。

まぁいっかぁ「キティハウス」
そのうち入って寝る日も来るかもしれないしね

2005年04月16日

●父 と 娘

真っ向勝負の場に居合わせた時のこと。もう何日も前のこと。

しかけたのは、インド帰りの妹
一緒に日本に来たフィンランド人の彼氏、熱が出て具合が悪い、あまりにもひどい
入居待ちアパートの一軒に、妹と彼氏は滞在している。

妹の父への主張は二つ
1.彼の看病を自宅でしたい、自室で寝かせたい
2.彼の病院の治療費を出して欲しい(もしくは貸して欲しい)


父から妹への返答は
1.「お前の家でもあるが俺の家でもある」家に上げるのは勘弁してくれ
2.治療費は出せない。病気等のリスクも考えた上で連れてきた・付いてきたはず。責任は自分で取れ。


二人とも真っ向勝負の平行線。
どちらにも理由があり、譲れない意地がある。
どちらの言い分も間違いではない、辛い・・・。


同じく居合わせてしまった3歳の姪が私に問う
「ちかちゃん、どうして困っているの?」
そのうち、父と妹の声は大きくなってくる。
姪は両方を見比べる、全身で感じ取り、考える
どっちがどっちをいじめているのだろう、どっちが悪いのだろう・・
姪にとっては、どっちも大好きなじいちゃんと大好きなユキちゃんなのである。
突然居なくなったと思ったら
姪は、隣の部屋で壁を背にしてハラハラと涙をこぼしていた、声も立てずに。
胸がぎゅっとなって「おいで」と抱っこした
よかった、この子が一人でこの場に居なくて

「萌ちゃん、じいちゃんとユキちゃんはね、ケンカしているんじゃないんだよ。
うーんとうーんと一生懸命にお話をしているだけなんだよ。
大きなお声でお話してるけど、ケンカしてるんじゃないんだよ、大丈夫なんだよ」

何度も何度も体をさすりながら言った
うんうん、と私の胸元を涙で濡らして
3歳のチビは、やっと安心した様子
「ボールで遊ぼう」
私を外へ連れ出した。

それでも私は玄関付近で、二人の繰り返される主張と説明付けと理由を聞いた。
妹も必死だ。
言わなくていいことまで言ってコトバで切りつけてまでも「いいよ」と言わせる気なのだ。
結局、妹の「もう分かった」で幕は閉じた。

魂がぶつかり合って火花が飛んでいるように見えた


どちらも引かなかった。美しかった。
妹も全身全霊で父に向き合ったし、父もそうだった。
娘を愛していないはずがない、「お父さんは私を愛していないんだ!」という妹の叫びにも
そういうことじゃない、としっかり諭していた。
根底にはお互いに愛がある、そこだけはお互い分かっているのになぁ・・・・と
心臓をドキドキさせながら私は思った。
やっぱり私の父は世界一かっこいいとうちゃんだと思った。
父は出かけ、妹はキッチンに残った。
おいおい泣く妹を抱きしめた。
姉妹で泣いた。
いっぱい泣くと、疲れる。
でも魂は満足している感じがする。

2005年04月14日

●ばあちゃん と わたし

私の父方のばぁちゃん、91歳

料理と片付けが苦手で、私の母がお嫁に来た時にはお手伝いさんが居たという
子育てもあんまり好きじゃなくて、
一男三女はほったらかしてたら育っちゃったわ・・ってな感じらしい

でも、食べること、美容にはかなり熱心で
好奇心があり、ものすごく社交家なのである。

美容に熱心ってとこを除けば、私とあんまりかわらない。
お手伝いさんを雇うまでは困ってないけど。

91歳になる今も、化粧ポーチと鏡を大事にしている。
美容院にも行く。

先日、危篤だったじぃさんの状態が上向いて落ち着いたとき
ばぁちゃんも一緒に昼の付き添いについた
病院の玄関から病室までは延々10分くらいの道のりで、
杖をつくばぁちゃんには辛いので車椅子をチャーターして押しながら進んだ。

歳は取りたくない、もう91だよ・・・って車椅子が恥ずかしいのかな
道々、たくさんの人が車椅子に乗っていて
あれ、乗ってる人たくさんいるね・・・とちょっと元気が出た様子
じぃさんは入院前から認知症がすごかったけど、ばぁちゃんはしっかりハキハキしている
(じぃさんは点滴や薬のせいか現在病院のベットの上で、ものすごくはっきりしてる!)

じぃさんのとなりに椅子を置き、ちょと手を握ったりしてなかなかいい光景
じぃさんが眠ると
ばぁちゃんもやっぱり眠くなっちゃうみたいで、時折椅子でうとうと

ふと視線を感じてばーちゃんを見ると
「おまえは肌がきれいだねぇ」って
「まつげがぱっちりしてパァーっとしているよ、ごく良いよ」と、まじまじ私の顔を見ている。
やっと心に余裕ができた私は、その日化粧をしていたのだ
化粧すると元気になったりいいことがあったりするもんね。
顔には日焼け止めを塗っているし、まつげはビューラーやマスカラを使ったニセモノだって説明。
まつげを上向きにするビューラーなるものや、繊維入りで長く濃くなるマスカラの話しが気に入った様子で熱心に聞いてきた。
ばぁちゃんだって色は白いし、肌もきめが細かくてきれいだよ、というと
昔はよく言われたんだよ・・・・だって。
お前は、そういうところ似たのかねぇ・・・とにこにこして嬉しそう。

91歳でもしっかり女性なのだ、
女の子トークができてちょっと嬉しい孫であった。

でもばぁちゃん、なにかというとティッシュにくるんだ諭吉さんを押し付けるのはいかがなものかと。
断っても杖ついてヨチヨチおっかけて来るから、転びやしないかとつい頂いちゃうじゃないか
ばぁちゃん、孫もいい大人なんだし、大丈夫なんだよ、
言ってもまったく効き目ないんだけど。

2005年04月13日

●猫の発作

実家から我が家へ帰ってきた、その夜
以前からちょくちょく発作を起こしていた愛猫 ちょこ が
一晩中、発作で苦しんだ
もちろん、こんなに長時間なんて、はじめて

発作・・・発作と表現するけど
たとえば尻尾を踏まれたときに発する、痛い「ぎゃっ!」という鳴き叫び
怒る時に発する鳴き声
そんな声が、より大きく強く、長く、苦しそうに続くのだ

おそらく体のどこかに痛みがあって、自分でも分からなくて痛みのたびに叫ぶのだろう

痛みのため、トイレで用を済ませられない
ちょこにはこれが高いリスク
なにせ、膀胱や尿道が弱い
以前、尿道結石症で入院治療をした経験があるから
その際にドクターに連れて行ったら「もう少し遅かったら手遅れ」と言われ
ぞぉーっとした経験があるのだ
それから現在も、一生、処方された塩分が少ないフードしか食べられない

一晩中続く発作・・・下半身に痛みがあるらしく、座ることもできない
体を動かすたびに鳴き叫ぶ
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い
どうすることもできない
不安・・・・・
私と旦那と猫・・・それぞれ眠れない夜を過ごした
早く夜が明けて、病院へ、それしか考えられなかった

午前6時
もう我慢できない
診察券やキャリーケースの準備
それでも早すぎるだろう、主治医の診察時間は午前9時からだ
時は遅遅として進まず、とにかく7時まで待とう、そう自分に言い聞かせた

午前7時
主治医に電話。やっぱり留守番電話。
メモをもとにカルテ番号や名前、症状を説明し、最後に連絡先を録音。
やるだけやった
動揺はしていたけど、必要な情報は全て留守録に入れられたと思う
これは損害保険会社の事故サービス部で繰り返し培った技術だ
よかった、人生無駄なことなんて何も無い
育ててくれた人たちや関わってくれた人たちに感謝した

午前7時13分
主治医から電話が入る。
きっと私の電話で目が覚めたのであろう寝起き声。
これから狂犬病の予防接種の為に全スタッフが出払うという
昼間まで帰れないと・・・がーん。
相談して膀胱破裂の危険性を考えて引っ越す前の主治医に行くことにした
以前、ちょこの命を救ってくれた先生のもとへ。
昼過ぎに結果を報告する旨を主治医とお互いに確認して。
現在の主治医と以前の主治医は先輩後輩、現主治医を紹介してくれたのもその先生なのだ
動物病院こそ、話しができないからこそ、良い病院にいかなければ命にかかわる
早く受診できたとしても知識や経験がない病院には大事な家族は任せられない


それからの私達の行動はすばやかった
車で長崎まで高速をぶっとばす
昨夜寝ていないので最新の注意を払って運転する旦那
いつもならキャリーケースに入れたら抗議の鳴き声がすごいのに
全く鳴かない
辛いのだ
まかせとけ、絶対にできることはしてやるから!
助手席でキャリーケースを抱っこする私

行く途中、元主治医に連絡する
火曜日、休診だった
院長は病院は空けておくからと、
自分はこれから出かけないといけないが副院長に引き継いでおくからと
力強いコトバ
もしかしたら副院長も同じことを聞くかもしれませんけど、と
あいかわらず丁寧なのだ

よし!一路、長崎!


病院は、開いていた。ほっとした。
丁寧に副院長がインフォームドコンセントをしてくださる
まず、レントゲン(動物用)。
診察室の扉が閉められ・・・・
進まない時間
時折、ちょこの叫び声が聞こえる

膀胱は、大丈夫だった。
溜まってはいたけど、そこまでたくさんじゃなかった。
ああ、よかった。
全身の筋肉が緩んだ。
とにかく現在のところ、痛がっているが、命に別状はない。
膀胱炎や尿道炎を併発している恐れがあるので、血液検査。
あばれるので、取れるかどうか・・・と、副院長。
なんとかやってくれるそうだ。

・・・数値は、正常。
他の可能性として・・・と、本当に丁寧に説明をしてもらう。
脳に腫瘍や水が溜まる場合が考えられる、、、それはCT(動物用CT、県内はここだけ)で確認可能。
しかし、確認したからといって治療は県内ではできない、一番近くて四国。
13歳の老猫に旅を強要できるのか・・・失命を伴う高いリスク
しかも、CTをとるにあたっては全身麻酔。半日は目を覚ませない。
老猫には、その全身麻酔も本当に高いリスクだという。弱る→失命に繋がる。

私達は、高いリスクを犯したくない。
決断は早かった。
痛みを取り去ることはできるかと問うた
薬で可能だという。
しかも、同じ症例でCTまで撮ったが原因は分からず、薬の投与で1年過ぎている猫が居るという。
そしてその方法であれば、長崎まで来なくても佐世保の主治医がずっと対応できると。
私達は、その可能性に賭けることにした。

この病院にかかるのは5年ぶり。
ちゃんとカルテが、まだあった。
以前の副院長先生はインターンで、現在は神戸で開業医だそうだ。
会計のスタッフが当時を覚えていてくれた。
しかも入院当時だから、5年以上前だ。
彼女が新人で入った頃だという。
「ちょこちゃん、おとなしくなりましたね」と。
え~?あばれて採血できずに両足で採ってテーピング固定なのに(笑)
いったい・・・どれだけ暴れていたのだろう。
そういえば、退院の時、当時の副院長に思いっきり威嚇していたっけ・・・
副院長ったら「僕は嫌われていますから・・・」と隠れていてくださったっけ。
命を救っているのに、動物には嫌われる。
獣医のお仕事って、過酷だ。


家までの帰り道
ちょこはキャリーケースの中でやっと目を閉じた
落ち着いたのか、単純に疲れただけなのか
もう痛そうなそぶりは見せない

家に着き、ちょこに薬を飲ませ
2人と一匹は泥のように眠った
ちょっとの音でも目を覚まし、ちょこが居るところを確認する


夕方、目が覚めても私の頭も体も疲れていた
じいさんの看病疲れ、旅の疲れ、
ちょこを抱えて振動が伝わないよう傾いてちょこに力がかからないよう力を入れていた疲れ
日本語インストラクターはお休みした
キャンセルの英文メールを入れると、またもかわいらしい日本語メールが返ってきた
タイトル「きょつけてチカたち!」たぶんTake care CHIKA's family とでも書きたかったのだろう
なんだかなごんだ。

主治医に電話すると、ちょうど長崎の獣医と電話で話した直後だという
明日、学会で会うから院長ともよく話してくださるとも。
先生はまず、不在をまた詫び、膀胱の確認だけでもすればよかったと詫びた。
わざわざ長崎に行かせてしまって申し訳なかったと。
本当に素敵な先生だ。
先生、それは結果論だもの、それに両先生ともすごく尽くしてくださった。
何より、ちょこは弱っているけど、生きている。
もうそれだけで、十分なのだ。

頂いたお薬は、麻酔をごく弱くしたようなものだそうで
ちょこは、よろよろしている
まるで老人みたいにゆっくり、ヨレヨレ歩く
ふすまを開けようとして、パタンと倒れてしまった
三段階の飛び移りを失敗して落下してしまった
どちらも元気な時に、けたたましくしていたのに
見ているこちらの胸が痛かった
後ろ足に力が入らないのだろう
本人(ちょこ)は、びっくりして、もっとショックを受けている


じっとして体の痛みと自分の生命力に向き合っているように見える ちょこ

急がなくてもいいよ
あんなに痛い思いをしたんだもん
ちょっとづつよくなろう
いつでも助けてあげる

今日、猫トイレに小指の先ほどのウンチとほんのちょっとのおしっこを確認
生命ってすごいな

がんばれ、ちょこ

2005年03月28日

●家族と友人

お泊りでお出かけしてました。
所用で松本から両親が福岡に来ていたので。

土曜、パーティの後に車を飛ばして天神へ・・・
実は自分一人で車を運転して福岡の三車線を走るなんて初めて。
なせばなる 成さねばならぬ なにごとも、、、うん。
いい経験になった。

夜、辺に面したBARで生ピアノとヴォーカルを聞きながら
両親と友人池ちゃんと4人で一時間ほどおしゃべりすることができた
ちょっとの時間でも共有できるってことが嬉しい

翌日は、飛行機の時間までショッピング
母は遠くに嫁いだ娘とお店めぐりができる喜びを語り
父は着せ替え人形のように、やれ水色を着てみろだの赤の方が似合うだの言われながらも
愛する妻と娘と、娘の友人に囲まれて嬉しそうであった
池ちゃんには私の親孝行の片棒を担いでもらっちゃた、ありがとう

家で、あーだったこうだったと共有できるのも幸せなことだ
猫が私の足を枕にしているぬくもりも嬉しい
うまくできたというカレーがまだ残っていたのも私を嬉しがらせた

2005年02月04日

●いもうと

インドに留学中の妹の話

昨日の夜11時過ぎに電話があった。
インドは日本より時差でマイナス3時間くらいだという。
私が二週間くらい前に送った郵便が今日届いたと喜んで電話をくれた。
メールアドレスを取ったくせに、
声が聴きたくなってさ、、、なんて、嬉しくなっちゃうじゃん。

暗く静かで街灯も少ないような所からこちらに繋がるライン
夜が力を持って存在している感じ
電話の向こうから伝わる雰囲気も含めて全部耳から感じたくて
明るいこの部屋のTVの音も光もじゃまで、消して話したくなる。

インドというスピリチュアルな土地で、
毎日どれだけ濃い時間を過ごしていることだろう。
彼女は彼女のアプローチで、私はここで、自分らしく生きる方法を探す。
生まれたことに、姉妹になれた奇跡に感謝して。

どんなに遠くても、どれだけ会えなくても、繋がってる。

2004年11月28日

●Happy Birthday MAM!

今日は母の誕生日。
おめでとう、光子さん!
困難にも負けずいつも元気で頑張り屋の光子さん
いつもポジティブで頑張る姿は「ハウルの動く城」のソフィー級。
私の自慢の母なのだ。
そんな彼女にピンクの百合を送った。

水曜日から風邪で寝込んでいるらしい。
今日は少し元気になってるといいなぁ。

こんな風に具合が悪いと聞いたとき、いつものジジババ騒動が勃発してるとき、
ああ、遠くに嫁いでしまったと実感する。
ドラえもん、私にどこでもドアをちょうだい。