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2005年04月30日

●縁もの

海辺のコテージに行ってきた
キャンプ好きの池ちゃんに呼んでもらって
まじぃと車に乗って、道を間違いながら到着

久しぶりのMもっちゃんや、ほぼはじめましてのHさん、Wさん、Uさんと
ゆったりした時間を楽しんだ

みんな仕事やプライベートでいろんなことを抱えていても
こうして話せる仲間が居るというのは素敵なことだ

わたしは2年も前に会社を離れたのに
未だにこうして縁をつないでもらえることも嬉しい

雨が叩きつけられる雷の轟く街灯のない真っ暗な夜道も
一人で運転したら怖いけど
まじぃと一緒なら怖くない

すべて縁もの
幸せな、ご縁

家に帰ったら「おかえり」と迎えてくれる旦那と寄り添う猫

私の日常は、ちっちゃな幸せの積み重ね

●松千 プレゼンツ LIVE SWITCH

「お~フライデー 今日 フライデー♪」という訳で
昨日29日、私は松千のライブにいってきたのだぁ

これまでのライブももちろん素晴らしかったんだけど
今回は、帰っちゃうのがもったいないような、
名残惜しさでぼんやりしてしまうような素敵なライブだった

最前列のマツケン側に居たからか?余計に彼のギターとヴォーカルにやられてしまった
胸からぐっと入ってきて背骨がグッと椅子の背もたれに押し付けられるような
彼の奏でるメロディー、気とエネルギー
ちぐりんの魅力全開の染みる歌声
目の前で、二つの魂が、ものすごい輝きを放っていた
心揺さぶられないはずがない

照明や音響、会場の雰囲気やお客さんまでも
全てがもたらす心地いい空間に身をゆだねて私はとても幸せな気分だった

moon river
間に入った日本語のちぐりんがつけたという歌詞が
いろんな感情とあいまって私の中に響いた
気づけば頬を伝って落ちた涙が胸の間を濡らしていた
新曲も素敵だった「コトバでも歌でも」だったかな
メジャーデビューは6月の松千、ぐんぐん前に進む感じもすがすがしい
「松千ざんまい」

ゲストのシガキマサキさんも、すごくよかった
あまりにも素敵で気に入ったので、即CD購入。
シンプルで心にまっすぐ届くんだもん。
あんまり嬉しくなった私は、打ち上げで思わずシガキ氏にHUGをしてしまい、びっくりさせてしまった。
もちろん初対面・・・びっくり、するよね、やっぱり・・・ちょっと反省。
ああ、でもほんとうに素晴らしかったんだもん。
またLIVEみたいな。

幸せにひたりながら、ぁゅぁゅを拉致して家に帰って
旦那と三人でしこたま飲んだ
ふと気づくと朝5時で、びっくり
歌姫ぁゅぁゅ、私が愛してやまない素敵なお嬢さん
幸せな私

2005年04月29日

●考えちゃうなぁ

お通夜、告別式とすんで、みんな寝込みまくり。
実家では、疲労してるとこへ風邪で、父なんて未だに点滴してもらってるし。
私も帰るなり仕事で。合言葉は「終わってから倒れよう」ってな感じで。
あ、ソフトボール部の守備で「ボールがグラブに入らなきゃ体に当てて前に落とせ」ってのと根性的には似てる・・・・って何いってんだ、私。
久しぶりにぐったりしてた。

知らないうちに体力勝負だった、お葬式って

もう、あれから一週間?早いなぁ
一週間前は、実家でまさにお通夜だった
このくらいの時間にヨレヨレしながら「そろそろ寝ないとヤバイ」とか考えていた

松本のお葬式って、地域にもよるのかも知れないけど「へぇー」が多かった

長崎だと、お葬式の日に、告別式→焼き場だけど
松本は、朝から焼き場→告別式なんだもん
お葬式の時にはもう、お骨になってるっていうのがちょっとびっくりした。

告別式をして、お坊さんが退場して、袈裟を変えて、すぐ初七日法要までする
あ、ちなみにお坊さんは6人セットでした
その後、椅子を全て移動して、テーブルをセッティングして
その場で飲み食いするらしい。ああ、なんていうのか忘れた。おとぎ?おとき?
とにかく、名残惜しく故人の話や告別式の話だとかしながら
時間を共有するのだという。
どのみち私は告別式の途中で退散せざるを得なかったので、その後の時間の共有はできなかったんだけど。
なんだか、いい風習だなぁと思った。

本当に一緒に暮らすのは大変な、本当に大変なじいちゃんだったけど
最後の最後に、命を燃やしていい思い出を残してくれたんだなぁって入院エピソード
そんなのを、ちょっと弔辞に込めることができた
ここのブログに書くことで頭の中が整理できたってのも大きい

ものすごく濃い4月だった
どうやって消化したらいいのか今もよく分からないけど
時間が過ぎれば上手に消化していくのかも知れない

昨日、美容室に行った時、
隣の女の子が看護婦さんで、病院で亡くなった後にすることの話をしてた
体を起こして拭いたりしていると、体の中に残った空気が声帯を通って出るときに
声がでることがあるのだという「あー」とか。
亡くなっているのに。
それって、遺族、聞きたいかもなぁ・・・・・・とか思っちゃった
ウチのじいちゃんなら歌ったかも、、、、とかそういうことでなくて。
つい、エロじいちゃんで看護婦さんのお尻触ったりって話をして、そんなのってある?と聞くと
同僚の中には、じいさんに乳首をひっぱられたとか
年配の同僚の中には「そんなに見たいならみせてあげるわよ!」とパンツを見せてやったとか
そんな話をしてくれました。
・・・やっぱり、いるのね、困った患者さんって。
じいちゃん、まだまだすごいのが居たよ、びっくりだよ。
あの憎しみが、こんなネタ話になるんだもの
苦しんでいた当時の私に「大丈夫だぞう~」ってタイムマシンに乗って教えてやりたいよ。

それにしても、長生きもしたし、家族もやるだけやった場合でもこれだけ想いが残るのだから
突然に亡くなっ方の家族は、どんなに辛いだろう。やりきれないだろう。
JRの脱線事故・・本当に心からお悔やみ申し上げます。

2005年04月23日

●ただいま

昨日から今日の日付に代わる頃・・佐世保に帰って来た。
じいちゃんの告別式を途中抜けして。
だって今日の仕事が詰まってて・・・。
大安で、どうにもこうにも代わってもらえる人が見つからなくて。
やっぱり、、、、替えがきかない仕事なんだなって身にしみた。
それにしても、家族席から そおっと抜けなきゃいけないバツの悪さ!

でも、いいの。
とにかくやるだけやったし、
家族とものすごーく濃い時間を過ごせたし、
孫代表の弔辞 ちゃんと泣かずにやってこれたし、
とても雰囲気がよくて、こんな葬式はじめてだって出てくれた人の何人もに言ってくれたっていうし、
セントレアのお風呂入れたし、
お家帰ったらダーリンもちょこもものすごく嬉しそうだし。

でもさぁー
唯一の心残りは・・・お父さんの喪主あいさつが聞けなかったことだな。
すごくよかったみたいなの
お父さんにいつも点数辛い お母さんが「お父さん、いいご挨拶だったわ」っていうくらいだっていうから
妹も私の代わりに父と母の横に立って聞きながら涙が止まらなくなったって言ってたから
ちっ、ビデオなんて誰もとってないだろうしなぁー

もういっこは、姪の萌ちゃんのお誕生日を一緒に過ごせなかったことだな。

くたびれたからもう寝る。
書きたいことは山のようにあるけど、ぼちぼちいこう。
思えばこの4月は半分くらい松本に居たことになる。
飛行機にも4回も乗っちゃったし。
ふわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
眠い
明日も、お仕事、がんばらなくっちゃ。

2005年04月20日

●訪問者

じいちゃんの友人が尋ねてきた

私の顔を見るなり
「あなた?九州に嫁いだのは」と声をかけられた

じいちゃんが何度も私のことを話していたという


一番可愛がっていたのに九州に嫁に行ってしまったと
切ない…って

一番期待していた可愛い孫が行ってしまった…と

淋しい…って

あんなにいじめられたのに
パワーハラスメント
ドメスティックバイオレンス
セクシャルハラスメント
ありとあらゆる嫌がらせ

でも、私は愛されていた!
はじめて会ったじいちゃんの友人にすぐ見つけられる程に

愛されていた!

愛されていたんだ!

涙が止まらない
体中の水分がなくなってしまいそうだ


じいちゃん、ほんとうにごめん

わたしは、じいちゃんが嫌いで、一緒に暮らしたくなくて18で家を飛び出ちゃったのに

わざと遠くに行ったのに

あんなに嫌ってたのに

じいちゃんの愛情はわかりにくすぎる!

でも、ありがとう


進める、前に進める


もうちょっとして涙がとまったら

私のスタートライン

2005年04月18日

●My grandfather was gone.

肺炎を併発した祖父
今日の夜に、あっけなくこの世を去った

少し前に下の妹と電話していたんだ
「また危篤だって。お父さん達、病院に行ったよ」
「アイちゃん、大丈夫だってば、明治生まれの強さで復活するってば」
10分ほど話して電話を切ったんだ。

そしたら、それから数分後・・・・また電話。
下の妹と話していたその時間に逝ったのだという。

上の妹は立ち会えたと
脈を打つ腕を、手を握ったと
ものすごく、おだやかな顔だったと

あんなに、あんなに会いたかったユキに孫の一人に見守られて
上がって行けただろうか
私は、午後にちょうどじいさんのことをブログに書いたばかりだったのに

「おねぇ、まだ暖かいのに、病室の中でお葬式の話をするんだよ」
なきじゃくりながら、ユキから電話
この子は三姉妹の仲でも一番感受性が強い
「ひどいよ、すぐにお通夜だ、告別式だって・・・・まだ魂は漂っているのに聞こえているのに」
そうだね、きついね。
でもさ、私達だって、ずっとじいさんとわだかまっていたままだったら
似たような態度だったかも知れないよ
誰かを否定したりなじったりしないで、ひどい!と思えた自分を大事にしなよ。

ユキの彼氏は、じいさんの足をずっとさすってくれたのだという
そして彼も、「まだ彼にはサウンドがあるのに」と葬儀の話し合いを怒っていたという
そうか、そうか似たものカップルだなぁ。
彼とも電話を代わって話した
いろいろ話したけど、一番ぐっときたのが
It's over. but beginning. というコトバだった。
終わりであり、はじまり、
じいさんは生まれたところへ還っていく

明日、私は飛行機に乗って松本にゆく

明日、じいさんの亡骸に会ったら
じいさんより先輩の、私の友達のことを話そう
曾孫になるはずだったあの子に会ったら抱っこして欲しいと話そう
行く道で、もし私を見ながら飛び込めずにいる命に会うことがあったら
黙って背中を押して欲しいと話そう

明日、嫌だっていったのに長崎に帰っちゃってごめんね、と話そう

ありがとう、人を憎む感情を教えてくれて
ありがとう、命ってすごいなって教えてくれて
ありがとう、私に時間をくれて

家族って魂の修行の場なんだって?
トラの穴みたいな道場だったけど
おかげでちょっと強くなれた気がするよ


いってきまーす。
ちょこの発作が心配なので、旦那には留守番を命ず。

●私のEQ

もう、何日も何日も・・・前の話。


酸素マスクの向こうからじいさんが苦しそうに言う
「ユキは?」
「ユキが来るまで俺は持つか?」

医師「会わせたい人に全て連絡してください」、という危篤の時だった

ユキというのは私のすぐ下の妹
インドのプネーにあるOSHOメディテーションリゾートってとこに留学中
コンタクトは、取次ぎか伝言の電話、FAX、e-mail


病院の緑の公衆電話から国際電話にかけてみるが繋がらない
携帯は手続きをしないと繋がらないという
ドコモ151でもトンチンカンな受け答えをするオペレーターも居るし
間違って案内されたところでは「なぜこの番号を案内したのか分かりかねます」とか言われ
「そちらの事情は結構ですから、すぐに手続きができるかできないかだけ教えてください」
Yes  なのか No なのか気づくと問い詰めている私が居た
とあるところでは私の剣幕で何かを察知したのか一度NOと返答して、電話が切れてから
わざわざ調べて着信履歴から私の携帯に教えてくれた男性も居た
あるところで日本でいう市外局番のようなものがインドでは追加になってると教えてもらえた

ともかく、全く何も無いところから電話を通じてたくさんの人に助けられ
糸をたぐりよせて
やっとインドへの電話はつながった


さて、ここからは英語。回線がプツプツ途切れる。
こっちが必死なら向こうも聞き取りに必死だ。
名前のスペルをゆっくりはっきり繰り返す。
緊急、家に電話しろと伝えて欲しい。私はその子の姉だ。
その女性はここのスタッフなの?いやちがう、滞在してる。
分かったわ、日本人の○○○○ね、必ず伝えるわ。
ありがとう、感謝します。

よかった、私の英語力でも伝わってる
力が抜けて泣いてしまった。出てしまった言葉。
Our grand father will be die...じいちゃんが死にそうなの
Oh...I. I 'll ...We'll try best.
ハッと息を呑んで、より真剣な空気が感じ取れた
文法的に合ってるかなんて知らない、でも通じ合えた

生まれて初めての自分からかけた国際電話・・・
病院のうすぐらい廊下で私は脱力した。


「まちげぇねぇか」
ユキは向かっていると嘘をついた母は祖父と指切りをしたという
ああ、まだ連絡すら取れていないというのに・・・・

OSHOへFAXとメールも送ろう
妹のメールアドレスなんて、あの子気が向かないと開かない
それにOSHOから離れている可能性だってある、もしかしたらプネーからも・・
どうしたらすぐ伝わる?
考えて私はOSHOへメールを打った。シンプルにまっすぐに。

    To:Yukie ×××(Japanese)
    To:OSHO's all staff
    To:The men and woman who knows Yukie

    It's really EMERGENCY.
    Please tell Yukie that "Make a contact with your home. ASAP!"
    I'm her sister CHIKA.

    Thank you for your kindness.


情報は人と人を伝達する
誰でもいい、ユキを知っている人なら伝えて欲しい伝わって欲しい


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無事に妹から電話があった。
「おねぇ、メールありがとう。ちょっとした騒ぎになったよ」
OSHOを離れて寺院に行っていたという、妹。
遠くからでも妹を見るなり各国の人がいろんな言語で
「あっ、ユキ!家と連絡取れ!」と言ってきたのだという。
妹の友達はおろか妹と講座で一緒になった人や挨拶程度の人までも所在確認をしてくれたらしい。
しまいに妹は応えるのが面倒になって、そのつどスタッフから手渡された
「EMERGENCY」と大きく書かれた封筒(届いたメールを印刷した紙入り)を頭上に掲げたという。


妹の帰国を待ちわび、待ちわび
祖父は渡りかけた三途の川から奇跡のカムバックを果たした
医者は驚愕、家族も驚愕、親戚もびっくり

妹に会えた祖父は、フィンランド人の彼氏を紹介され、びっくり(笑)

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後日、私の英語の先生であるヒロコさんにメールを転送。
一部始終も話した。
そうとうインパクトあるメールだったらしい。
「世界中どこに居ようともチカさんなら助けてくれる気がする」
「いやぁ~心強いよ。EQ高いよね!」
と、笑われて褒められた。えへへへへ。
EQ(Emotional Quotient)とは、IQに対応して、”心の知能指数、心の偏差値”と呼ばれるもの
本城武則氏の心理学をベースにした英会話上達の秘訣本より

2005年04月17日

●やっぱり、「ねこつぐら」のほうがいいのかい?

ちょこの調子がだいぶいいみたいだ
しっかりご飯も食べられるようになったし
トイレでくっさいウンチもしている

やっとひと安心

ちょこのストレスの一因として
お気に入りの「ねこつぐら」を捨てられたからじゃないか・・・
なんて思いもあって、
衝動買いをしてしまった→これ

まだ一度も入ってくれない・・・・
ちょこ、やっぱり「ねこつぐら」じゃないとダメなの?

私が捨ててしまった「ねこつぐら」は川崎に住んでいる時に
調布の駅前のさびれた金物屋らしきところで買ったんだった
しかも「ねこぐら」って売ってた気がする。
検索して見つけたこんな立派なのじゃなくて
底の取り外しができるようなつくりで、厚みもない感じの。
そう、薄かったから屋根に穴が開いて捨てちゃったんだよ・・・
今になってひどいことしたのね、私、と後悔してます。

まぁいっかぁ「キティハウス」
そのうち入って寝る日も来るかもしれないしね

2005年04月16日

●覆面さん

高速道路を走っていたら前に抜きつ抜かれつしている白のトヨタ車と紺のセドリックがいた
二台とも左側車線に落ち着いたから、追い抜き車線から追越しをした
一体なにやってるんだ危ないなぁ
追い抜きの時にセドリックを見たら警備会社らしき制服
車のルーフに変なセンサーらしきものがついてる

追越し車線を走行中
やけにセドリックが煽ってくる
嫌な感じ
早く隙間見つけて左車線に入ろう…
そのとき、セドリックのルーフに赤く光るものが!
ええ〜!
煽っててそりゃないよ!
くやしいから切符切るとこに先導されるとこをカメラでパチリ
28キロのオーバーだって
煽られなかったらそんなに出しませんってば!
しかも車に来た高機隊の警官、ニヤニヤしてた
んもう、むかつく〜!
警備員みたいと気付いていたのに
危機管理がなってない自分にも腹が立つ
高い撮影代になっちゃった

●父 と 娘

真っ向勝負の場に居合わせた時のこと。もう何日も前のこと。

しかけたのは、インド帰りの妹
一緒に日本に来たフィンランド人の彼氏、熱が出て具合が悪い、あまりにもひどい
入居待ちアパートの一軒に、妹と彼氏は滞在している。

妹の父への主張は二つ
1.彼の看病を自宅でしたい、自室で寝かせたい
2.彼の病院の治療費を出して欲しい(もしくは貸して欲しい)


父から妹への返答は
1.「お前の家でもあるが俺の家でもある」家に上げるのは勘弁してくれ
2.治療費は出せない。病気等のリスクも考えた上で連れてきた・付いてきたはず。責任は自分で取れ。


二人とも真っ向勝負の平行線。
どちらにも理由があり、譲れない意地がある。
どちらの言い分も間違いではない、辛い・・・。


同じく居合わせてしまった3歳の姪が私に問う
「ちかちゃん、どうして困っているの?」
そのうち、父と妹の声は大きくなってくる。
姪は両方を見比べる、全身で感じ取り、考える
どっちがどっちをいじめているのだろう、どっちが悪いのだろう・・
姪にとっては、どっちも大好きなじいちゃんと大好きなユキちゃんなのである。
突然居なくなったと思ったら
姪は、隣の部屋で壁を背にしてハラハラと涙をこぼしていた、声も立てずに。
胸がぎゅっとなって「おいで」と抱っこした
よかった、この子が一人でこの場に居なくて

「萌ちゃん、じいちゃんとユキちゃんはね、ケンカしているんじゃないんだよ。
うーんとうーんと一生懸命にお話をしているだけなんだよ。
大きなお声でお話してるけど、ケンカしてるんじゃないんだよ、大丈夫なんだよ」

何度も何度も体をさすりながら言った
うんうん、と私の胸元を涙で濡らして
3歳のチビは、やっと安心した様子
「ボールで遊ぼう」
私を外へ連れ出した。

それでも私は玄関付近で、二人の繰り返される主張と説明付けと理由を聞いた。
妹も必死だ。
言わなくていいことまで言ってコトバで切りつけてまでも「いいよ」と言わせる気なのだ。
結局、妹の「もう分かった」で幕は閉じた。

魂がぶつかり合って火花が飛んでいるように見えた


どちらも引かなかった。美しかった。
妹も全身全霊で父に向き合ったし、父もそうだった。
娘を愛していないはずがない、「お父さんは私を愛していないんだ!」という妹の叫びにも
そういうことじゃない、としっかり諭していた。
根底にはお互いに愛がある、そこだけはお互い分かっているのになぁ・・・・と
心臓をドキドキさせながら私は思った。
やっぱり私の父は世界一かっこいいとうちゃんだと思った。
父は出かけ、妹はキッチンに残った。
おいおい泣く妹を抱きしめた。
姉妹で泣いた。
いっぱい泣くと、疲れる。
でも魂は満足している感じがする。

2005年04月15日

●青年海外協力隊 説明会参加

ちょこの調子が上向きなので、外出。

新聞に告知があったから行ってみた。
青年海外協力隊、年齢制限は20歳~39歳だった。
何故か勘違いして29歳までだと思っていた私。
短期間(数週間~1年未満)なんて文字に誘われ、行ってみたくなったのだ。

結果的に短期間の募集は本当に少なくて、
ほとんどが3ヶ月、しかも専門職等のかなり狭き門らしい
一般の派遣は1年~2年が一般的
家庭があり、仕事があり、妊娠を目指してて、家族の一員が病気、、、なんて状態では
私にとっては、全く現実的ではない期間。

ほとんど冷やかし参加になっちゃったんだけど
OB、OGの方々の目の力と輝き、体験談の面白さに
ついつい(参加が非現実的なくせに)積極的にごんごん質問しちゃった

大学の第二外国語やその辺の会話スクールに選択が無いような語学のところへ飛び込み
役目をまっとうして帰ってきた彼らの自信に満ちた輝き
そして、いってみたい、どうだったんですか?という全身で聞く参加者たち
両方のエネルギーが熱くて
ものすごく元気が出た
人間ってすばらしいね


自国の外に一回出てみればいいんだよ
客観的に世界の中の自分の故郷、歴史や、いろんなことを
現在の価値観や信じている常識なんかを軽くぶっとばされるような体験をしたらいい
井の中の蛙のようにデモに参加して投石してる場合じゃないのだよ

学んできたこと全てが本当じゃないかもしれない
場所と人が違ったら、それは全く真逆のことかもしれないのだ
違う場所から光を当てたら、もっと違うものの見方ができるはず
海外に留学経験のある勘違いじゃない人たちはもうちょっと視野が広いはず

集団に飲まれるのは簡単だ
私の惹かれる国の人たち、その強さはもっと他に向けられると思います
過去は変えられませんが、今からの未来を一緒につくっていけませんか?

2005年04月14日

●ばあちゃん と わたし

私の父方のばぁちゃん、91歳

料理と片付けが苦手で、私の母がお嫁に来た時にはお手伝いさんが居たという
子育てもあんまり好きじゃなくて、
一男三女はほったらかしてたら育っちゃったわ・・ってな感じらしい

でも、食べること、美容にはかなり熱心で
好奇心があり、ものすごく社交家なのである。

美容に熱心ってとこを除けば、私とあんまりかわらない。
お手伝いさんを雇うまでは困ってないけど。

91歳になる今も、化粧ポーチと鏡を大事にしている。
美容院にも行く。

先日、危篤だったじぃさんの状態が上向いて落ち着いたとき
ばぁちゃんも一緒に昼の付き添いについた
病院の玄関から病室までは延々10分くらいの道のりで、
杖をつくばぁちゃんには辛いので車椅子をチャーターして押しながら進んだ。

歳は取りたくない、もう91だよ・・・って車椅子が恥ずかしいのかな
道々、たくさんの人が車椅子に乗っていて
あれ、乗ってる人たくさんいるね・・・とちょっと元気が出た様子
じぃさんは入院前から認知症がすごかったけど、ばぁちゃんはしっかりハキハキしている
(じぃさんは点滴や薬のせいか現在病院のベットの上で、ものすごくはっきりしてる!)

じぃさんのとなりに椅子を置き、ちょと手を握ったりしてなかなかいい光景
じぃさんが眠ると
ばぁちゃんもやっぱり眠くなっちゃうみたいで、時折椅子でうとうと

ふと視線を感じてばーちゃんを見ると
「おまえは肌がきれいだねぇ」って
「まつげがぱっちりしてパァーっとしているよ、ごく良いよ」と、まじまじ私の顔を見ている。
やっと心に余裕ができた私は、その日化粧をしていたのだ
化粧すると元気になったりいいことがあったりするもんね。
顔には日焼け止めを塗っているし、まつげはビューラーやマスカラを使ったニセモノだって説明。
まつげを上向きにするビューラーなるものや、繊維入りで長く濃くなるマスカラの話しが気に入った様子で熱心に聞いてきた。
ばぁちゃんだって色は白いし、肌もきめが細かくてきれいだよ、というと
昔はよく言われたんだよ・・・・だって。
お前は、そういうところ似たのかねぇ・・・とにこにこして嬉しそう。

91歳でもしっかり女性なのだ、
女の子トークができてちょっと嬉しい孫であった。

でもばぁちゃん、なにかというとティッシュにくるんだ諭吉さんを押し付けるのはいかがなものかと。
断っても杖ついてヨチヨチおっかけて来るから、転びやしないかとつい頂いちゃうじゃないか
ばぁちゃん、孫もいい大人なんだし、大丈夫なんだよ、
言ってもまったく効き目ないんだけど。

2005年04月13日

●猫の発作

実家から我が家へ帰ってきた、その夜
以前からちょくちょく発作を起こしていた愛猫 ちょこ が
一晩中、発作で苦しんだ
もちろん、こんなに長時間なんて、はじめて

発作・・・発作と表現するけど
たとえば尻尾を踏まれたときに発する、痛い「ぎゃっ!」という鳴き叫び
怒る時に発する鳴き声
そんな声が、より大きく強く、長く、苦しそうに続くのだ

おそらく体のどこかに痛みがあって、自分でも分からなくて痛みのたびに叫ぶのだろう

痛みのため、トイレで用を済ませられない
ちょこにはこれが高いリスク
なにせ、膀胱や尿道が弱い
以前、尿道結石症で入院治療をした経験があるから
その際にドクターに連れて行ったら「もう少し遅かったら手遅れ」と言われ
ぞぉーっとした経験があるのだ
それから現在も、一生、処方された塩分が少ないフードしか食べられない

一晩中続く発作・・・下半身に痛みがあるらしく、座ることもできない
体を動かすたびに鳴き叫ぶ
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い
どうすることもできない
不安・・・・・
私と旦那と猫・・・それぞれ眠れない夜を過ごした
早く夜が明けて、病院へ、それしか考えられなかった

午前6時
もう我慢できない
診察券やキャリーケースの準備
それでも早すぎるだろう、主治医の診察時間は午前9時からだ
時は遅遅として進まず、とにかく7時まで待とう、そう自分に言い聞かせた

午前7時
主治医に電話。やっぱり留守番電話。
メモをもとにカルテ番号や名前、症状を説明し、最後に連絡先を録音。
やるだけやった
動揺はしていたけど、必要な情報は全て留守録に入れられたと思う
これは損害保険会社の事故サービス部で繰り返し培った技術だ
よかった、人生無駄なことなんて何も無い
育ててくれた人たちや関わってくれた人たちに感謝した

午前7時13分
主治医から電話が入る。
きっと私の電話で目が覚めたのであろう寝起き声。
これから狂犬病の予防接種の為に全スタッフが出払うという
昼間まで帰れないと・・・がーん。
相談して膀胱破裂の危険性を考えて引っ越す前の主治医に行くことにした
以前、ちょこの命を救ってくれた先生のもとへ。
昼過ぎに結果を報告する旨を主治医とお互いに確認して。
現在の主治医と以前の主治医は先輩後輩、現主治医を紹介してくれたのもその先生なのだ
動物病院こそ、話しができないからこそ、良い病院にいかなければ命にかかわる
早く受診できたとしても知識や経験がない病院には大事な家族は任せられない


それからの私達の行動はすばやかった
車で長崎まで高速をぶっとばす
昨夜寝ていないので最新の注意を払って運転する旦那
いつもならキャリーケースに入れたら抗議の鳴き声がすごいのに
全く鳴かない
辛いのだ
まかせとけ、絶対にできることはしてやるから!
助手席でキャリーケースを抱っこする私

行く途中、元主治医に連絡する
火曜日、休診だった
院長は病院は空けておくからと、
自分はこれから出かけないといけないが副院長に引き継いでおくからと
力強いコトバ
もしかしたら副院長も同じことを聞くかもしれませんけど、と
あいかわらず丁寧なのだ

よし!一路、長崎!


病院は、開いていた。ほっとした。
丁寧に副院長がインフォームドコンセントをしてくださる
まず、レントゲン(動物用)。
診察室の扉が閉められ・・・・
進まない時間
時折、ちょこの叫び声が聞こえる

膀胱は、大丈夫だった。
溜まってはいたけど、そこまでたくさんじゃなかった。
ああ、よかった。
全身の筋肉が緩んだ。
とにかく現在のところ、痛がっているが、命に別状はない。
膀胱炎や尿道炎を併発している恐れがあるので、血液検査。
あばれるので、取れるかどうか・・・と、副院長。
なんとかやってくれるそうだ。

・・・数値は、正常。
他の可能性として・・・と、本当に丁寧に説明をしてもらう。
脳に腫瘍や水が溜まる場合が考えられる、、、それはCT(動物用CT、県内はここだけ)で確認可能。
しかし、確認したからといって治療は県内ではできない、一番近くて四国。
13歳の老猫に旅を強要できるのか・・・失命を伴う高いリスク
しかも、CTをとるにあたっては全身麻酔。半日は目を覚ませない。
老猫には、その全身麻酔も本当に高いリスクだという。弱る→失命に繋がる。

私達は、高いリスクを犯したくない。
決断は早かった。
痛みを取り去ることはできるかと問うた
薬で可能だという。
しかも、同じ症例でCTまで撮ったが原因は分からず、薬の投与で1年過ぎている猫が居るという。
そしてその方法であれば、長崎まで来なくても佐世保の主治医がずっと対応できると。
私達は、その可能性に賭けることにした。

この病院にかかるのは5年ぶり。
ちゃんとカルテが、まだあった。
以前の副院長先生はインターンで、現在は神戸で開業医だそうだ。
会計のスタッフが当時を覚えていてくれた。
しかも入院当時だから、5年以上前だ。
彼女が新人で入った頃だという。
「ちょこちゃん、おとなしくなりましたね」と。
え~?あばれて採血できずに両足で採ってテーピング固定なのに(笑)
いったい・・・どれだけ暴れていたのだろう。
そういえば、退院の時、当時の副院長に思いっきり威嚇していたっけ・・・
副院長ったら「僕は嫌われていますから・・・」と隠れていてくださったっけ。
命を救っているのに、動物には嫌われる。
獣医のお仕事って、過酷だ。


家までの帰り道
ちょこはキャリーケースの中でやっと目を閉じた
落ち着いたのか、単純に疲れただけなのか
もう痛そうなそぶりは見せない

家に着き、ちょこに薬を飲ませ
2人と一匹は泥のように眠った
ちょっとの音でも目を覚まし、ちょこが居るところを確認する


夕方、目が覚めても私の頭も体も疲れていた
じいさんの看病疲れ、旅の疲れ、
ちょこを抱えて振動が伝わないよう傾いてちょこに力がかからないよう力を入れていた疲れ
日本語インストラクターはお休みした
キャンセルの英文メールを入れると、またもかわいらしい日本語メールが返ってきた
タイトル「きょつけてチカたち!」たぶんTake care CHIKA's family とでも書きたかったのだろう
なんだかなごんだ。

主治医に電話すると、ちょうど長崎の獣医と電話で話した直後だという
明日、学会で会うから院長ともよく話してくださるとも。
先生はまず、不在をまた詫び、膀胱の確認だけでもすればよかったと詫びた。
わざわざ長崎に行かせてしまって申し訳なかったと。
本当に素敵な先生だ。
先生、それは結果論だもの、それに両先生ともすごく尽くしてくださった。
何より、ちょこは弱っているけど、生きている。
もうそれだけで、十分なのだ。

頂いたお薬は、麻酔をごく弱くしたようなものだそうで
ちょこは、よろよろしている
まるで老人みたいにゆっくり、ヨレヨレ歩く
ふすまを開けようとして、パタンと倒れてしまった
三段階の飛び移りを失敗して落下してしまった
どちらも元気な時に、けたたましくしていたのに
見ているこちらの胸が痛かった
後ろ足に力が入らないのだろう
本人(ちょこ)は、びっくりして、もっとショックを受けている


じっとして体の痛みと自分の生命力に向き合っているように見える ちょこ

急がなくてもいいよ
あんなに痛い思いをしたんだもん
ちょっとづつよくなろう
いつでも助けてあげる

今日、猫トイレに小指の先ほどのウンチとほんのちょっとのおしっこを確認
生命ってすごいな

がんばれ、ちょこ

2005年04月11日

●It's a small world !


4月10日、友人まるさま・PATの誕生日。
おまけに義弟の誕生日でもあるのだ!

前日にまるさまには会えたし、PATには電話をした。
タイトルはPATが電話で笑いながら言ったフレーズ。
義弟は26歳。私が人生の選択を迫られた年と同じだ。
家族でケーキを囲んだ。
初めて彼の誕生日を一緒に祝えて嬉しかった。
旦那も同じ空間で楽しめたらよかったのに…
そう思ったら、テレビ電話でHAPPY BRITHDAY SONG を歌ってくれた
ちいさな画面の向こうとこっちで
低い声で歌う旦那と
はにかんで嬉しそうな義弟

縁あって義兄弟になってしまった二人

なかなかいい光景だった

2005年04月10日

●このエロジジイっ!

元気になったじいちゃん。私は長崎に帰るね、と言ったら「いやだ」だって。
それから『長崎は今日も雨だった』をずっと歌っていた。
ニコニコして私の顔を見るから言えなかったことをぶつけてみた


されて嫌だったセクハラをならべて、嫌だった許せないと。苦しんだと。殺してやりたかったと。
覚えているかと問うと
ニヤリと笑って「そのとうり」


「このクソエロジジイっ!」ちょっとおどけて言ってみた
酸素マスクから口のはしが出るほどヒヒヒ、とニヤ〜っと笑った
うわ〜セクハラの時の顔だあ!ぞぞぞぞぞ〜っっ

でも、まあ、本人にわだかまりをぶつけられてよかった

もう、これで進める
パワーハラスメントもドメスティックバイオレンスも人格否定も存在否定も、どれも全部嫌だったけど、今も嫌だったけど、一番嫌だったのはセクハラだったのが分かったから

もう
財布が無いから通帳が無いからと家族を犯人扱いしたり
金槌を振り回したり
殴ったり
そんなことをする為に死の淵から蘇ったんじゃないことだけは分かってくれ

エロジジイは、あなたの個性だと認めざるを得ないからさ

●飛行機


ちか「もえちゃん、ちかちゃん 明日、もえちゃんが保育園でお昼の準備の頃にね、飛行機でお空飛んでくよ。空みてバイバイしてね。」


もえ「うん、バイバイするね」


ちか「11時50分くらいだよ」


もえ「わかった!お外に出てバイバイってするね!ちかちゃんも窓あけてバイバイしてね!」


うーん…もえちゃんの為なら窓開けたいけど、飛行機は窓開かないんだよね〜

2005年04月09日

●まゆげ


もえ「ちかちゃんも一緒に保育園行こうよぉ」


ちか「え〜、まだ眉毛描いてないもん」


もえ「もえちゃん えんぴつあるよ!」


え〜っと(笑)

●一難去って、また一難

危篤、葬儀準備、回復、葬儀中止
母は胃潰瘍

このタイミングで妹が帰国じいさんに面会
しかし…妹はフィンランド人のボーイフレンドを連れてて

多くの日本人は外国の人に対してアレルギーがある
特にアジア系以外に
自分たちも海外に行けば外国人なのにさ

それはさておき
我が両親には理由がある
以前も似たようなことがあった
当時の妹の彼はブラジル人
両親は前回、精神的にも肉体的にも金銭的にもかなりの打撃を受けた
前回とは違うからなんて言われたって納得できないだろう

しかも、今回こんなにハードな時期に
ダメだ一緒なら帰ってくるなと母は伝えていたという
夜十時半、妹が彼をつれてやってきた
何を話しても母はパソコンゲームをしたままの目線で妹を見ようともしない
ひさしぶりに会えた娘の顔を見たくないはずはない
顔を見たらゆらぐからと母は後でちいさく言った
父はまだ仕事で帰っていなかった

マンションの入居待ち部屋にとりあえず二人は居る
親のお金で留学しました、彼氏と帰ってきました、養ってください(両親はそう思っている)なんてあるか!と
姉としては長女としては聞き役な訳で

私もやんちゃをしてきたし
さんざん親を泣かせて迷惑をかけてきたので
複雑なのである

妹には今回は味方になれないと言いながら、ついこっそり出掛けていって妹を抱き締めてしまったり彼と話してしまったりする訳で

そうでなくても今日は母の代わりに父と親戚と共に祖父の様態や今後についての医師面談で経過メモを作成し(過去の職業病を引きずっている)くたびれているのに、眠れないのだよ

とにかく風呂に入ろう

父は入居待ち部屋の明かりを見て察知したらしく
馬鹿は…やだやだやだやだやだやだやだ…とグロッキー
妹が帰ってきたのは嬉しくとも、喜べない両親に同情する

妹は、きっと帰ればなんとかなると、そう思ったのだろう

仕方がない
誰かを変えるなんてできない
変えられるのは自分だけだ

2005年04月08日

●パワーアップして蘇った祖父


やっぱり長いエイプリールフールだった
そう簡単に死ぬ訳がない
みんなで納得した
みんなが騙された
来週からマスクなし、食事可となる


今夜が峠です
あわせたい人すべてに連絡を取ってください
ご自宅の準備をしてください
病院を出る際の着替えを用意してください


などと言われたのが驚異の回復力で復活
医師は、たまげている
思うに、私がありがとうと言われた日に、彼は三途の川に背を向けたのだろう
だって人格が戻ったんだもん

じいさんはすっかり元気になって
酸素マスクのまま
ナースの胸や尻を触るなどセクハラエロジジイに戻り
伯母と口論し
命令口調になり
孫にもまたセクハラしようとし…

あっぱれすぎてあきれている
どんなに苦しいときもナースの手を撫でていたし
筋金入りだ
思春期に性の対象にされて死ぬほど嫌だったけど
幸いにして犯されるまでにはならなかったし
もういいや

こんなエロジジイが居ると話のネタにしよう

伯母が警察に知らせてくれた祖父が母にするドメスティックバイオレンスも、もうしばらくは、ないだろうし

自宅告別式の為に片付けたら凶器の金槌が出てきた

葬儀なんて先になった
家の大掃除になったさ

もう、殺したいとまでは思わないけど
そう思ってしまっても仕方がなかった


魂の修業というやつだ

もう、憎しみはない

でも母の為にも、なるべく早くにお迎えが来てほしい
ジジイ嫌われ者だから
むこうでも誰も迎えにきたくないのかも

母は患っていた胃潰瘍が痛みだしヨレヨレ
今日は医師からの説明がある日
母の代わりに患者の長男の娘として立ち合いましょう
他の親戚と共に
また人生ドラマ見学や楽しい人間観察ができそうです


口からは日本語が出るけど日本語を理解できないし、するつもりもない、つまり祖父と同じ種…の叔母が現在一番おもしろい

●克服の旅 結論

過去は消えないけれど

憎しみは涙と一緒に流してしまおう

私が持ち続けたいのは
憎悪じゃなく、愛情
不平ではなく、感謝
蔑みではなく、尊敬


あんなに小さな頃からずうっと重たかった
もう持たなくていいよ
下ろしていいよ
もう十分苦しんだ
もう解放してあげよう

瞬間的なものは仕方がない
人間だもの

私は私で いいんだ
じいさんと血が繋がっていたって同じ人間じゃない

魂を解放して
私らしく生きよう

2005年04月05日

●克服の旅 生と死の狭間で

信じられないことが起こった

私の呼び掛けに答えて祖父が頷いた時
私は、嬉しかったのだ

ひどい扱いを受けて
あんなにも憎くて
一刻も早く死んでしまえと思っていたのに
今すぐ殺してやるとあんなにも何度も思ったのに

嬉しかったのだ!

ばかな!訳が分からなくなって目が回った
自分に裏切られた気がした
人間は死ぬとき生まれたところへ帰っていくのか?
弱くて小さく誰かの手を借りなくては生命を維持することもできない存在
見かけは全く違うけど、あかちゃんみたいだ

ずるい

過去は消えないのに
憎い記憶は消えないのに
じーさんが死に逝く今、感情だけが変化してしまった

日曜夜、私は母に替わって付き添いをした。
目を開けると声をかけ手を握り不安をやわらげ、苦しそうにするとからだをさすって、酸素マスクで乾いた唇は時折ガーゼで湿らせ…
あんなに憎んだのに反対のことをしていた
しかも懸命になって…
自分の中の母の血を感じた

長い苦しい数時間、じーさんがあちらの世界とこちらを行ったり来たりした後、午前4時過ぎ、窓の外は雪が降っていた
寝息が止み、じーさんの目がまたパチリと開いた
「どうした?居るよ、ここに居るよ」
握っていた私の手を動かし逆にぎゅっと握られた
口元が動いている
耳をよせる
「じーちゃん今、『ありがとな』って二回言ったの?」
握られた手に力がこもり、うんうんと頷いた

その瞬間
私の中に残っていた何かが溶けていった

感謝の言葉がじーさんの口から出てくるなんて
変わったのは私だけではないらしい


よかった、逃げなくてよかった

はじめて通じあえた
同じ側に居れた

じいちゃん、ありがとうの気持ちを持てる世界で私は生きていたいんだよ
じいちゃんがこれまで好んで使っていた言葉たちは、必要ない世界に居たいの

もう少しで答えが、道が、見えそう。分かりそう。

●克服の旅 はじめの一歩

飛行機から見下ろす松本、美しい私の故郷。

母は昨夜の付き添い明けの仮眠だと妹から聞いていたので帰郷を知らせなかった。突然目の前に現われた娘に母は目を見開いて驚き「ありがとう」と私を抱き締めた。


じーさんはベットで酸素マスクやいろんな管をつけて機械音と共に、小さく横たわっていた。「じじ、ちかだよ。長崎から来たよ」耳元で言うと、うなづいてみせた。私を苦しめた面影はない。

医師からいつ逝ってもおかしくないと告げられ、迎え入れの態勢に入っている。じーさん家に帰りたがっているから、告別式は家でしようと父が言う。付き添いを伯母に頼み、夜通し家の片付け。

くたくたで母と布団を並べて横になった。本当に来てくれてありがとう助かる…と布団の下で母が手をつないできた。涙が出た。


じいさん、私は普通の祖父と孫になりたかった。
慕って慕われる関係に
跡取りの重圧に苦しめられることなく
性の対象として見られることなく
憎悪を感じることなく

2005年04月02日

●憎しみを越える為に


松本へ
私は過去へと旅をする

目を覚ました祖父は命のろうそくが燃えつきようとしている今もベッドの上で夜中も十分置きに目を覚ましては病院こきおろし批判演説をしているらしい。さすがじーさん筋金入りだ。
コミュニケーションは可能な状況になったってことだ。生きているうちに、言葉がかわせるうちに会いたい気がする。嫌な思い出が重なるだけだとしても。
もうこんな憎しみを抱えたまま生きていくのは嫌なんだ。どす黒い座礁タンカーの油のようなコールタールみたいな汚い重たい感情が自分にあるのだと、今もそのまま底に溜まっているのだと自分を卑下するのが嫌なんだ。
一歩を踏み出す為に、自分の為に。もうこの感情から逃げてはいけない。私の一部だから。嫌でも見たくなくても私の一部だから。


飛行機はいい、自由席なんて無くて時間が決まっているから。福岡〜松本間は一日一本、もう逃げられない。逃げてはいけない。

立ち上がり一歩を踏み出せ
サンディトリップも歌っているじゃないか。

2005年04月01日

●エイプリールフール と 私の中にある闇

昨日から、お腹が痛い。
どうやら胃か腸かに細菌が入ったらしい・・。
それはともかく

妹から祖父のことで電話が入った。
「大動脈乖離?」
100歳に届かんとする肉体は手術に耐えうる血管でもないし、体力もない。
調べたら、こんな文字が
・・発症直後に3%、6時間以内に8%、24時間以内に25%の死亡率。
母は病院へ、目を離せない状態になったとのこと。
このエイプリールフールに。
嘘みたいな本当。


「おじいちゃんが大好きだ」と言える人が私はうらやましい。
おじいちゃんなどと呼べた時期は幼少期までだった。
私は彼と同じ屋根の下で18歳まで過ごした。
パワーハラスメント、
セクシャルハラスメント、
人をさげすむ負のエネルギー、
人の不幸を喜ぶ歪んだエネルギー
そんな全てを味わった。
詳しくは書きたくもない。
血縁関係にあることに対する辟易。
殺意に近い人を憎む憎悪。

でも、悪いことばかりじゃない
どうしても離れたいという気持ちは私にエネルギーをくれた
受験した全ての県外の大学・短大にものの見事に落ちても
新聞奨学生として朝刊・夕刊を配りながら浪人をする力が沸いた
自立心を持って学生時代を経て、現在に至る
そうでなかったら、あの環境できっと甘えたお嬢さんとして飛び立てずに居た

ヤツは私の心の闇
私のDNAの中にある闇
「ああはりたくない」闇
私の中の全てのマイナスエネルギーの生まれる闇


憎むより愛せた方がいいに決まってる
家を出てから、分かりあいたいと努力した時期もあった
どう頑張っても無理だった
自分とも向き合えない人間とはどうやっても隙間がない
歳を経ての「寂しさ」という穴からも可能性は見出せなかった


もう、永久に機会を失った


90を過ぎて痴呆となっても変わらず煩悩にまみれ
むしろマイナスエネルギーは増幅し
365日、毎日元気に人の嫌がることを成し、
人の困った顔を特に喜び
「エロ」というカテゴリーではおおよそ表現できず「色情」でも足りず
嫌がらせしか口にせず
どなり、がなりちらして
ずっと君臨して365日、自分以外をさげすみ、
ゴミ以下に扱った嫁から受けた献身のありがたみも知らず
孫に女性に生まれたことを後悔させ、あらゆる憎しみの感情を抱かせ、
解消のチャンスも与えず
誰にも、身内にすら好かれず、誰からも惜しまれず
今、逝く準備をしている
じーさん、あなたの今世はなんだったのですか


ずっと口にし、望んでいたんじゃないのか
この胸糞悪さは、、、なんなのだ


血のつながりがあるからか?
「そんなこと言ってても、チカちゃんやっぱり愛情があるんだよ」
なんて、分かったような顔して面と向かって言われたら
その人を思いっきり殴るかもしれない